観光DXの推進が叫ばれる昨今、急速に進化する生成AIは、観光分野においても大きな可能性を秘めています。旅行者の多様なニーズに合わせた情報発信や、観光地・観光産業における業務効率化、データに基づいたマーケティングなど、その活用範囲は多岐にわたります。
しかし、生成AIはまだ新しい技術であり、学習させる情報の取り扱いや偽・誤情報の拡散といったリスクも存在します。そのため、「適切かつ効果的」な活用方法について迷いや不安を感じている事業者の方もいらっしゃるかもしれません。
このような状況を踏まえ、観光庁では全国6地域で調査事業を実施し、生成AIを適切かつ効果的に活用するためのポイントを取りまとめた手引書を作成しました。このブログ記事では、その手引書の概要を分かりやすくご紹介し、皆様が生成AI活用を検討する上でのヒントを提供します。
手引書の構成:適切さと効果の両面からアプローチ
観光庁の手引書は、生成AIの活用を「適切な活用」と「効果的な活用」の2つの側面に分けて整理しています。
- 「適切な活用」:生成AIが持つリスクに対する具体的な対応策やチェックリストについてまとめています。
- 「効果的な活用」:生成AIを活用した生産性向上や観光地の経営高度化など、効果的な事例を紹介しています。
このバランスの取れた視点が、安全かつ成果につながるAI活用の鍵となります。
適切な活用のためのポイント:リスクと対策を知る
生成AIを安全に利用するためには、潜在的なリスクを理解し、適切な対策を講じることが不可欠です。手引書では、特に以下の観点が重要であると指摘しています。
- 個人情報保護:生成AIに個人情報を含む情報を入力する際は、利用目的の範囲内での活用に留め、大規模言語モデル(LLM)に情報が学習されない設定(RAG技術の活用など)になっているか確認することが大切です。実証事業では、学習・参照データのマスキングや、利用目的を照らした取り扱いの徹底、オプトアウト設定などが対策の実例として挙げられています。
- 著作権保護:生成物を利用して販促活動などを行う場合、既存の著作物に類似した画像や動画などの生成を避けること、生成物に加工を施して利用することなど、著作権に留意が必要です。著作権侵害の可能性を高める指示(例:「〇〇のような画風でポスターを作って」)は避け、生成物が既存の著作物と類似していないか確認し、類似している場合は大幅に加工するか、著作権者に許可を得て利用する必要があります。
- ハルシネーション(偽・誤情報):生成AIは事実と異なる情報を出力する可能性があります。特に、観光案内など正確性が求められる情報発信においては、実在しない場所や時間内で移動できない経路を出力するリスクがあり、旅行者の混乱を招くおそれがあります。出力結果の確認・改善手法を確立し、偽・誤情報を流通・拡散させない認識を持つことが大切です。熱海市での実証では、生成AIによる評価とネイティブによる評価を組み合わせることで精度向上を図っています。
- バイアス:学習データの偏見や差別がそのまま出力される可能性があります。人間側の認知バイアス(流暢性のバイアス、自動化バイアスなど)にも留意し、信頼性のある情報を判断できる情報リテラシーを身につけることが重要です。学習・参照データ収集段階での多様性確保や、出力結果を複数人で確認するといった対策が挙げられています。
- その他:上記以外にも、アカウンタビリティ(説明責任)の確保や、データ自体の適切性・公平性なども考慮すべき点として挙げられています。
効果的な活用の可能性と事例:現場の課題解決へ
生成AIは、観光地や観光産業が抱える様々な課題の解決に貢献する可能性を秘めています。手引書では、全国6地域での実証事業を通じて得られた具体的な活用事例を紹介しています。
1. マーケティング・誘客促進
- マーケティング施策案の作成:多様なデータ(観光統計、オープンデータ、宿の独自データなど)に基づき、観光地の戦略案や国別の旅行ニーズに応じた施策を立案できます。北海道の実証では、DMO保有のアンケートデータとPMSデータを分析し、インバウンド旅行者のペルソナ像作成や販促資料案の出力を行いました。熱海市では、口コミや掲載記事、競合情報を分析し、市場別の特徴や施策アイデアを提案する取り組みを実施しました。
- 口コミ分析:旅行者の口コミデータを集計・分析し、経営の高度化や優先対応すべき課題の特定に活用できます。箱根(ホテルおかだ)では、口コミの収集・整形を自動化し、生成AIで要約して可視化することで、分析業務の負担を軽減し、具体的な改善対応を迅速に行えるようになりました。
2. 業務効率化
- データ集計・要約:旅行者満足度調査など、大量のアンケートデータの集計・要約にかかる業務を効率化できます。
- 問合せ対応への回答案作成:旅行者からの問合せに対する回答案の作成を支援できます。門司港では、観光情報データと生成AIを活用したチャットツールにより、インフォメーションセンターでの問合せ対応業務の効率化を図りました。長崎(ホテル長崎)では、アレルギー情報や過去の代替メニュー案などを活用し、団体客のアレルギー対応メニュー案検討業務の効率化・平準化に成功しています。この取り組みにより、1団体あたりの対応業務で60%の稼働削減効果が見込まれています。
- シフト案作成:従業員の希望休や宿泊人数等の条件に基づき、シフト案を作成できます。北海道(お宿欣喜湯)では、管理者1名が1日かけて行っていたシフト作成業務が、生成AI活用により半日程度に短縮される見込みとなりました。ルールを「必須ルール」と「推奨ルール」に分類し、優先順位を付けて処理することで精度を維持しています。
- メール文案作成:顧客ごとに送付する予約確認メールなどのドラフト作成を自動化できます。箱根(和心亭豊月)では、予約情報の要点整理とメール文の自動生成により、メール作成にかかる時間と負担を軽減しました。
3. 多言語対応
- フロント業務の効率化:チェックイン時の多言語対応など、従業員の語学力に依存しない平準化が可能です。北海道(お宿欣喜湯)では、夕食時間や清掃要否確認における多言語翻訳に活用し、担当者の語学力に関わらず確実かつ簡易な対応を実現しました。
- 料理メニュー案の作成:料理メニューや館内案内の多言語翻訳とその表現修正を自動化し、インバウンド対応の準備時間を削減できます。箱根(和心亭豊月)では、一括翻訳と翻訳結果の修正機能に絞って活用することで、人の手による翻訳作業の負荷を軽減しました。城崎(西村屋)では、飲食サービスのレコメンドを多言語で行う取り組みを実施しています。
- 情報発信の効率化:ウェブサイトやSNSの投稿文案を、インバウンドに伝わりやすい表現で多言語翻訳できます。熱海市では、約270分かかっていた多言語翻訳業務が、生成AI活用により約22分(約12分の1)に削減されたという試算結果が出ています。
生成AI導入・展開のポイント:現場で活かすために
生成AIの効果を最大限に引き出し、現場での活用を促進するためには、いくつかの重要なポイントがあります。
- データ整備:生成AIが認識しやすい形にデータを加工するなど、入力データの精度を上げることが重要です。複数種類のデータを組み合わせることで、より高度な分析が可能になります。
- 最新情報のキャッチアップ:生成AIの性能進化は速いため、常に最新情報を把握し、目的や課題に適したモデルを選択することが効果を高めます。
- 活用時の留意点の事前周知:現場の利用者が適切かつ効果的に活用できるよう、個人情報を入れないなどの留意点や、活用におけるポイントを十分に説明することが重要です。マニュアル資料の準備なども有効です。
- 現場利用を意識したシステム実装:現場利用者のスキルやノウハウ、意見を踏まえ、入力画面に具体的な入力例を示すなどの工夫を施すことで、活用が浸透しやすくなります。単純かつ頻度の高い業務に焦点を当てることも効果的です。
- 業務フローの整理と広範な検討:生成AI導入の過程で業務フローを見直し、タスクを一体的に考えることで、全体の業務効率を向上させることができます。施設全体や地域全体で俯瞰して検討することで、より大きな効果を得られる可能性もあります。
- 現場の利用状況を踏まえたチューニング:従業員へのヒアリングなどを通じてフィードバックを収集し、プロンプトやシステム設定をチューニングしていくことで、現場での活用が促進されます。
まとめ
観光分野における生成AIの活用は、インバウンドを含む旅行者の多様なニーズへの対応、業務効率化、データに基づいた経営の高度化など、観光DXを大きく推進する可能性を秘めています。
一方で、個人情報保護、著作権、ハルシネーション、バイアスといったリスクへの適切な対応も不可欠です。
観光庁が取りまとめた手引書は、これらの「適切」な対策と「効果的」な活用事例、そして導入・展開における具体的なノウハウを包括的に示しています。生成AIの導入を検討されている観光事業者や観光地の皆様は、ぜひこの手引書を参考に、リスクを管理しながらイノベーションを両立させる取り組みを進めていただければ幸いです。